Sponsored Link

das Vergißmeinnicht

「あの教会が崩れちまったのは、ずいぶんと前さ」
近在に住む老婆は教えてくれた。
「ほれ、いつだったかね。ひどい嵐が来た年があったろう。あの時に起きた土砂崩れで、あっさりとね」
そんな年も、あったかもしれない。明確に記憶してはいなかった。
「もともとあの教会で、大きな戦闘があったろう。あれはどこかの組織の小競り合いか何かだったのかねえ。爆薬か何か使って、ずいぶんと脆くなっていたようだしね」
「15年前だよ」
俺はそう答えていた。その爆薬を使ったのは、他ならぬこの俺なのだから。
「おやまあ、そんなになるかね。年は取りたくないね」
老婆は、歯の抜け落ちた口を開けて笑った。
そうか。このあたりまで来れば見えたはずの、クロッツェオ教会の尖塔が見あたらないのはそんな理由か。
老婆に礼を言い、俺は歩き出した。
忌まわしき過去の亡霊の住む土地へ。

目線を足下に落としたまま、俺は歩いた。
ひとつには、すでにないと判ってはいても、あの教会の跡地を見つめながら歩きたくなどなかったから。
もうひとつには、人々の視線を避けるためだ。
二級・三級市民の多いこのあたりでは、俺の容姿は目立ちすぎる。
好奇・嫉妬・憎悪・羨望──
或いはあからさまに、或いは遠巻きに、その視線は矢のように刺さってくる。
「やっと、来たんですね」
俺の前に立ちふさがった、影。
一瞬、時間が15年前に戻ったかのような錯覚にとらわれた。
あの時も、こんなふうに彼女は俺の前に現れた。
違うのは、彼女はもう、幼い少女ではないということ。
「ずっと待っていたんですよ──ナッシュさん」
妙に丁寧な物言いは変わらない。あいつの薫陶がいまだに生きているということだろうか。
「15年もかい? 気の長い話だ」
「ええ」
俺のからかい口調に、彼女は平然と答えた。
「あれが、私の家」
この道からすぐの、小さな家だった。
まさかほんとうに、この道を見つめ続けていたのか──?
いつ来るとも知れない俺を待って?
「あなたは、あなたが思っている以上に、このあたりでは人目をひくんですよ。2日も前にこの村に来たこと、すぐに噂になりました」
「まいったね」
間の抜けた話だ。ここまで来ておきながら、俺はなんだかんだと理由をつけて教会を訪ねる時を引き延ばしていた。
「それで──まさか、あの時のリベンジなんていうんじゃないだろうね」
「以前は、そのつもりでしたけれどね」
にこりともせず、彼女──ステラは答えた。
「あなたを殺したかった。あなたを殺さなければ、私の気が済まなかった──。最初の何年かは、そればかり考えていました」
「…………」
「その後は──あなたを殺したら、あなたは、あの方と同じ場所に行けてしまう──そう考えたわ」
「おいおい──」
俺の言葉を無視して、ステラは続けた。
「あの方は、あなただけを見ていた。あなたしか、見ていなかった。そして、自らの死という永遠の楔をあなたに打ち込むことで、あの方は自分の願いを成就させてしまった。違いますか?」
まっすぐな視線だった。
憎しみでも、哀しみでもない。ただ目的を果たそうとする、ひたむきな目がそこにあった。

「…そうだな」
どれくらいの沈黙の後にか──俺は負けを認めた。
「だから、俺はここに来たんだ」
「だから、私はあなたを待っていたんです」
ある意味、ステラと俺は同志なのかもしれない。
もういない者を想い続けてきた、虚しい同志。
両親のこと、妹のこと。そんな表面上の感情を拭い去った後、やつが俺に残していったのは、ただ鮮烈な印象だけだった。
それを表す言葉など存在しないような、本能に近いような感情だけを残し──それこそが目的だったのか──やつは、逝った。
15年という歳月は、生きている者に平等に過ぎ去っていったらしい。
俺も、ステラも、その感情をゆっくりと昇華してきたのだろう。
「あなた1人で、行ってください」
ステラがまっすぐに、教会の跡地を指した。
「私はここでお待ちしますから」
その言葉に後押しされるように、俺は歩き出した。
ゆるやかな上り坂──一歩一歩、踏みしめるように。
ふいに、風が渡った。

そこにあったのは──
青。
一面の、青。
かつて、苔むした墓石がうち捨てられていた、あの土地一面に、青い、小さな花が揺れていた。
ステラが?それとも、この墓地に眠る者を悼んだ、誰かが──?
いったいどれほどの面積に種を植えたのだろう。いや──15年という歳月をかけて、花がこの土地を覆いつくしたのだろうか。
そして、まるで天の配剤のように、俺はまさに花の時季にここを訪れた。
俺は、そこに立ちつくしていた。
神を信じたわけでもない。後悔が消えたわけでもない。
ただ、もう少しだけ、ここに居たかった。
暖かな日射しと、花が紡ぎ出す柔らかい風を、感じていたかった。
TOPBACKNEXT